トロント移民ライフ♪ FEEL TORONTO

カナダに移民してからの日常と、レイキのこと、ゴルフのこと、愛犬のことなどを綴っています。そして最近はヒーリーの話題です。どうぞよろしく。

ディクシャミーティング、瞑想中の雑念

今日は月曜日なので、ディクシャミーティングへ行った。今こうやって気軽にディクシャへ行けることがものすごくありがたい。私達に毎週ディクシャをしてくれているインストラクターの2人は、私達にディクシャの費用も請求していない。スナックや飲み物を参加者が持参するのと、寄付として毎回少しのお金を置かせてもらっているだけである。本当にありがたい。Reikiシェアにしたって、やはり参加費とかはなく、小額の寄付を置くだけなのである。今日のディクシャは娘と参加した。チャクラ瞑想をして、ディクシャを受けて横になる。それから今日はみんなが今後、もっと目覚めていく(?)ためにアンマとバガヴァンは、私達にどうして行く様に思われているのか等の話しをした。今日のテーマの中では辛いこと、嫌なことがあったらそのことを忘れようとしたり、他の事で気を紛らわせたりするのではなく、そのことを体験しつくしていくという内容のさわりの部分を話した。私は最近では自分の運命はすっかりお上にお任せしているので、辛いことや嫌なことが起こってきていない。起こっても以前の様に受け取らなくなっている。ただ、全てを委ねていられる(委ねているつもりになっていられる)のは、ディクシャなどを受け続けているお陰である。よほど深い信仰を持っているか、または何年も厳しい修行を積んでも、自分の意思でそれらを手放すのはかなりたいへんであり、不可能な場合も多いと思う。レクチャー後のスナックタイムで「私はどうも雑念が多くて瞑想は苦手だ。」と言った。それに対して、インストラクターに「雑念は自分の頭の中にあるのではなく、全体意識の集合体から送られてきてしまうものだ」と言われた。たしかそんなことを本で読んだことがあった。でもそう言われると、ごちゃごちゃと頭の中にわいてくる雑念は、私のせいではなく、自然なことだったのかと、ものすごく気が楽になった。今度の瞑想の時は、「さて私の頭は次はどんな雑念が起こるのだろうか(どんな雑念を受信してしまうのか)」と、一歩下がって眺めるようにしてみよう。次のステップへのいいヒントになるかもしれない。