トロント移民ライフ♪ FEEL TORONTO

カナダに移民してからの日常と、レイキのこと、ゴルフのこと、愛犬のことなどを綴っています。そして最近はヒーリーの話題です。どうぞよろしく。

前にうちで飼ったワン

いつも、楽しいことや、嬉しいことや、上手くいったことばかりを、ここに書くことが多いので、辛いことなんてなんにもなかったのだろうと思われているかもしれないが、辛いことがない人生などあり得ない。今日は過去の辛かったことのひとつをふと、思い出したので、書いておこう。昔、私の父は私が5歳くらいの時だろうか、会社を興し、その会社をどんどん大きくし、何十人かの人を雇い、東京に支店も出し、地元ではそこそこ知れた会社の社長をやっていた。私は小さかったので、家にお金があろうがなかろうが、幸せのポイントは別のところにあったと思うのだが、一応、裕福だったようだ。ところがいい時はそう長くは続かない。父の会社が仕事をさせてもらっていた会社が不渡りを出し、不景気の波と相まって、資金繰りがつかなくなり、大きな借金を残し、敢なく倒産。私が中学2年生か3年生の頃だったと思う。もちろん当時、私達家族が暮らしていたそこそこ大きなおうちも没収。当然である。だがそれだけで返せる額のお金ではない。債権者の方たちは家の中にどやどやと入ってきて、一番印象に残っている物で言うと、二束三文にもならない弟のカセット・デッキにまで、札を付けていった。(差し押さえというやつですね)私たちは祖母の家にしばらく身を寄せていた。もうドラマのような展開としか言いようがない有様だったのだが、母も父も親戚達もすっかり暗くなってしまい、弟は環境の変化で持病の喘息が重くなり…それはそれでみんな、特に大人達はたいへんだったろう。ただ、私が辛かったのは、その変化の中で、当時我が家で買っていた犬を助けてあげることができなかったことである。色んなことに感覚が麻痺していたあの時より、今になっていっそう、ワン(犬の名前)のことが思い出される。自分達の食べるものを買うお金もなく、住む所もない状態だった。でも、誰かが私達の替わりに飼ってくれたら、といくら思ってみても、どうすることもできない。しばらくして、たいへんながらも何とか食べていけるようになった。両親は、お金がない中でも、私たち子供には出来る限りのことをしてくれたと思う。父はその後、長い長い時間を掛けて、借金の返済を済ませ、最後は自分の入院代と、お葬式、お墓の費用分だけ遺して行ってしまった。今でこそ、偉そうに何でも一人でやっている私だが、そんな時もあったのだ。今度、犬を飼ったら、ワンの分まで、そのコが生きられるように、飼ってあげたいと思っている。そして、そんなことがあっても、今では母も弟も、もちろん私も毎日明るく楽しく暮らせていることに感謝をせずにはいられない。